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はいさい!しまんちゅ工房の新垣(あらかき)と申します。 与那原町で2005年の夏いらい、県内外へ沖縄県産のシーサーを販売してまいりました。 父「新垣信一(あらかきしんいち)」は、1950年に祖父「新垣菊信」が創業した新垣花鉢工場の二代目として、 |
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時は1945年、第37師団に所属していた祖父は戦友と戦地から沖縄にもどり、戦友の家業であった島袋瓦工場 赤瓦の産地である与那原町で修行に励んでいた祖父は、北京からバンコクまで踏破した第37師団で出逢った戦友 約束とは、戦友から戦地で言われた一言「生きて帰れたら妹を貰って欲しい」 戦地から沖縄に無事に帰ってきた祖父と戦友ですが、疎開先で生き延びた祖母。 時代で起きる選択は命のリレーに大きな影響を与えます。 祖父と祖母に心から敬愛と感謝を。そして先の大戦で命をうしなった全ての「みたま」に生を預かったモノとして |
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写真は家業である島袋瓦工場で男瓦「うーがーら」を制作する祖母です。戦前に撮られた写真のようです。 祖母は「やっちー(御兄さん)の言う事は絶対だった」と生前語ってくれました。 戦争中は祖父は日本兵、祖母は宮崎へ疎開、二人が時折語ってくれた戦争談はいつも異なりましたが、 祖父の名前から「信」をもらいこの世に生を受けた父「新垣信一」、 |
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元日本兵の父をもつ父でしたが、時は安保闘争をめぐる学生運動がまだ沖縄で残っている1972年、 恐ろしい時代ですね・・・。ただ何度も言いますが祖父と祖母が経験したモノに比べると・・・。 祖父母の強さと正義感を引き継いだ父。 写真は29歳で町議員に初めて立候補する出馬演説の様子です。 父は、工場で働きながら若い頃から青年会を通して地域を盛り上げ、これまでになかった青年団を組織 政治は本当に修羅場です。家族の支えがないと全う出来ない職種の一つだと思います。 |
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父が窯焼きをしている写真です。父の代で登り窯からガス窯へ工場も木造建てから鉄骨の二階建てへと という事で私も政治に!ではなく(^^)地元の商工会青年部で部長職と支部長職で鍛えてきましたが、 一時期は父の背中ばかりを追い求め葛藤していましたが、今は父と一緒に仕事が出来てこの上の無い慶びに |
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順風満帆に見える父ですが、実は何度も困難にぶつかっています。 41歳の時、土練機という土をこねる大きな機械に利き腕の右手を巻き込んでしまう大きな事故に遭います。 緊急手術をした先生からは、「もう二度と元のようには動かない」と宣告されたそうですが、 利き腕が使えない父がとった行動は・・・。 |
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なんと父は、左手を利き腕にしました。 その苦難の道は母が支えました。 運動音痴な母ですが、車の免許を取得しリハビリの父を支えました。 また、元に戻らないと宣告された右腕のボルトをへし折る程の懸命なリハビリで先生を驚かせ、 |
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実は父の逆境はこの事故に始まらず、学生の頃は二階から転落する事故、最愛の妻との早いわかれ 「我に七難八苦を与えたまえ!」と山中幸盛は三日月へ言い放ちますが、 経営者。政治家。どれも父の顔ですが、私は職人としての父が今は好きです。 小さい頃からずっとシーサー職人という訳ではなく、ただ土にかんしてはモノがない時代です。 経営者、政治家、そして父として夫として息子として、一人の男として、若い時に抱いた理想の世界を目指して |
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祖母の介護が終わり、7年ぶりにシーサー制作を再開した父は、また今も逆境を抱えています。 70歳まで元気で薬要らずの父でしたが、難病指定を受けた病気と闘っています。 最後の最後まで自身の逆境に屈せず出来る事を一生懸命に尽くす父の作品は、 初の選挙出馬の際に写真を先にご紹介させてもらいました。その時、小さい頃の私が映っていました。 菊信から信一、信一から私である信人 そして息子の慶信 私たちが大切にしてきた「信」という文字の意味をそれぞれの人生で経験しながら見出し、また皆さんの人生が |
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父には、シーサーへの哲学観があります。 「もともと獣だったシーサーが、焼き物師との出会いで、獣から神に目覚める」という考えです。 その哲学観から、制作の最後、眉間に白毫(びゃくごう)を入れ、守り神として命を吹き込んでいきます。 「苦難の時こそ導いてくれる光が必ずある」 その精神が形となり、守り神として命が吹きこまれた父の作品。 迎えてくれた方々から沢山の慶びの声を頂く度、父のシーサーが、その光となっている事を感じ、 |
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父の作品は、当店での取り扱いのみになります。 こちらで紹介する作品は、全て1点モノになり、注文を受ける時点で完売御礼となります。 また、昨年叙勲をもらった父はモノ作りの最終章に入りました。 父は、陶芸に関する賞は一切ありません。小さい頃から祖父母が立ち上げた工場で沖縄の土くちゃと赤土を触って 人としての勲章は貰った父ですが、今初めて一心不乱にシーサーを制作しています。 どんどん父の作品が進化していくのを傍で見ています。本当に凄い人です(^^) |
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一心不乱にシーサー制作に励む父は「国宝級」を作りたいとよく話します。 また、最後までお読みいただき、いっぺー!にふぇーでーびる(誠にありがとうございます!) いつまでも、子々孫々まで私たちが信じる加護が降り注ぎますように。
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魔除け獅子(尻上がり)「オーグスヤーシーサー」 特別価格330,000円 |
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「煌めく守護神」ホワイトシーサー(2024/10) 110,000円 |
「煌めく守護神」ホワイトシーサー(小) 88,000円 |
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魔除け獅子「立正面シーサー」 作 新垣信一 220,000円 |
魔除け獅子「伏せシーサー」 作 新垣信一 286,000円 |
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魔除け獅子「深海シーサー」 作 新垣信一 176,000円 |
魔除け獅子「オーグスヤーシーサー」 作 新垣信一 176,000円 |
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魔除け金獅子「風神・雷神シーサー」(大)作 新垣信一 385,000円 |
魔除け燻し金獅子「正面シーサー」(大) 作 新垣信一 209,000円 |
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屋根シーサー「シン・韋駄天」 作 新垣信一 495,000円 |
正面焼締めシーサー「金剛59」 作 新垣信一 550,000円 |
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「屋根シーサー(尚巴志)」 作 新垣信一 550,000円 |
魔除け獅子「風神・雷神シーサー弐」 作 新垣信一 583,000円 |
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煌めく守護神ホワイトシーサー(小) 作 新垣信一 66,000円 |
魔除け獅子「伊達」 作 新垣信一 385,000円 |
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煌めく守護神ホワイトシーサー(小) 作 新垣信一 66,000円 |
魔除け金獅子「屋根シーサー」(大) 作 新垣信一 132,000円 |
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魔除け金獅子「正面シーサー」(大) 作 新垣信一 143,000円 |
屋根シーサー「キジムナー」 作 新垣信一 99,000円 |
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魔除け燻し金獅子「伏せシーサー」(大) 作 新垣信一 176,000円 |
煌めく守護神ホワイトシーサー(大) 作 新垣信一 286,000円 |
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魔除け獅子「伏せシーサー」(中) 作 新垣信一 132,000円 |
煌めく守護神ホワイトシーサー(中) 作 新垣信一 77,000円 |
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「波紋シーサー(義経と静御前)」 作 新垣信一 110,000円 |
「屋根シーサー(水波紋)」 作 新垣信一 99,000円 |
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魔除け獅子「立正面シーサー」(中)作 新垣信一 88,000円 |
魔除け獅子「立正面シーサー」(小)作 新垣信一 66,000円 |
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ちぶるシーサー「黒双」(大) 作 新垣信一 99,000円 |
ホワイトシーサー(立正面)「小」 66,000円 |
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魔除け獅子「アーナンダイ」 作 新垣信一 360,000円 |
魔除け獅子「怒髪天」 作 新垣信一 187,000円 |
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風神シーサー「壱」 作 新垣信一 308,000円 |
魔除け獅子「不動」 作 新垣信一 132,000円 |
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魔除け獅子「韋駄天」 作 新垣信一 360,000円 |
魔除け獅子・韋駄天「独眼竜」 作 新垣信一 380,000円 |
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魔除け獅子・韋駄天「千金丸」 作 新垣信一 420,000円 |
魔除け獅子「金剛特七」 作 新垣信一 756,000円 |
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