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はいさい!店長のあらかきです(^^)僕の祖父と父は、シーサーを製作しています。
僕の家業は、1950年創業の瓦工場で、小さい頃から焼きモノとシーサーに囲まれて生活してきました。 父からきいた事また書籍で勉強してきた歴史について当店なりのシーサーの歴史をご説明いたします。 |
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■シーサーのルーツ |
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シーサーは、シルクロードを伝わって大陸から沖縄へと伝来してきました。獅子文化は、世界へと広がるのですが、 沖縄のように民間にこれほど普及したのは、世界的に見ても沖縄県だけです(^^) |
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@エジプトのスフィンクス Aイタリアの海軍旗に描かれた翼のライオン Bギリシャのスフィンクス Cシリアのスフィンクス Eイラン ペルセポリスの獅子 Fイラン 帝王狩猟図 Gインド サーンチの獅子 Hインド アショーカ王柱 Iスリランカ シムハ Jタイ ワット・アルン寺院の獅子 Kシンガポール マーライオン L中国 紫禁城の獅子 M中国 福州の獅子 Nジャワ島 ボロブドールの獅子 O韓国 掛陵の獅子 P沖縄 シーサー Q日本 狛犬 R日本唐獅子 |
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実は!あのエジプトにあるスフィンクス・・・あれがシーサーの原型といっても過言ではないのです! 今からはるか昔、オリエント時代にさかのぼります。みなさん「シルクロード」をご存知ですか? 中国の絹が地中海地域へ交易で通った道として知られていますが、最近ではユーラシア大陸も交易していたことが シーサーはなんと!そのシルクロードを伝わり中国に伝来されてきたのです!! 古代オリエント時代では、エジプトやインドですね、そこには王様が権威を民衆に示すために 紀元前7世紀のメソポタミア地方にはまだライオンが生息していて、オリエント全域を支配していた こわいですねーでも、情報網が発達していないまだまだ文化のあさい時代では、百獣の王ライオンこそだれもが恐れ、 そのライオンを狩ることで、王としての威厳を広大な土地の民衆へ伝えていたのです。
古代オリエントでは、翼のあるライオンやスフィンクスのような怪物を創造していて降魔除災の守護神へと それがいつしかシルクロードを伝わり各地で獅子文化として広まるのです。 当時の中国にライオンはその頃まだいなく、百獣の王ライオンを創造して多種多様な形の獅子が また大陸から沖縄へ伝来してきた獅子文化が「シーサー」として世界で類を見ない一般宅へ普及したら獅子像文化に このように、獅子像文化は世界中にあるのですが、エジプト起源が有力ですが僕は欧米にも起源があるように思います。 ただアジアにはライオンはいなくいので、エジプトから仏教と共に獅子像文化が伝来してきたように思います。 沖縄では、中国らきた獅子文化が、1400年代に伝わったとされています。 それから沖縄には、龍など中国の瑞獣(ずいじゅう)文化と共に風水学を始め、沢山の思想と学問が その後、日本からも沢山の思想や学問が入り、明治22年にそれまで王家や士族階級にしか許されなかった 更に、沖縄独特の自然崇拝や祖先崇拝などの信仰や文化、また中国から直接伝来した獅子文化である |
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青銅の獅子像ですが、素晴らしい技術とデザインですよね。最高傑作だと言われています。 獅子像は、太和殿という皇帝が政務を執り行う正殿の真正面に位置する太和門の両側に鎮西しています。 守護神であり、権威の象徴です。上の写真は門を見て左に位置する獅子像ですが、口があいています。 日本の狛犬や沖縄のシーサーは、基本的には右に口が開いている獅子、左に口が閉じている獅子を置くのですが その真言から生まれた「あ」と「うん」の設置なのですが、 日本の平仮名は、右から左への文章ですよね?ですので始まりの「あ」は向かって右になったと思いますし、また東 このように日本では「あ・うん」の法則が仏教観に定着して右にあ「口があいているモノ」左にうん「口が閉じている 紫禁城の獅子像は、乾隆帝時代の作品と言われているので1700年。中国にも間違いなく密教の思想は伝来している |
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写真は、首里城、正殿に向かう歓会門の両側に設置された石獅子です。 お気づきになりましたでしょうか?上の写真は左に設置されている獅子で、右は映っていませんが実は、あ・うんが ここからは僕の勝手な解釈ですが、首里城は中国を接待する殿と日本を接待する殿がそれぞれ中国式と日本式建築で 首里城に掲げられている万国津梁の鐘にはこんな文字が刻まれています。 「琉球国は南の海の良いところにあり、中国と日本の間にある蓬莱(ほうらい)の島で、船で万国の津梁(しんりょう) 交易の大切な取引相手を最大限におもてなしをしたいので、それぞれの建築様式を取り入れた殿を作っているのですが、正殿を守る守護神については、中国式、日本式も取り入れない。 つまり琉球独自の文化を誇っての設置のように僕は思います。 というのも琉球は、冨を得ていますが自国を小国だと認識していますので、例えば中国から使者を接待するいわゆる こういたった大交易時代をたくましく生き抜いていく先人の知恵と気概を感じれて僕は非常に誇りに思います。 でも上記は、僕の勝手な解釈ですので何卒ご了承くださいませ。 獅子像をみて、どんな気持ちで職人さんが作ったのだろうか?どんな人だったのだろうか?どんな想いで設置したのだ こちらでは、シーサーの歴史にまつわる事を書きましたが、また勉強して更新していきたいと思います。 一緒に学んでいきましょう! |
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